リフレッシュ休暇でサハリンへ


概要

1996年 9月5日 〜 9月11日  (函館空港から、プロペラ機のアエロフロートに乗って)  9月5日 函館へ  9月6日 アエロフロート(実はサハリン航空)にてユジノサハリンスクへ       空港から町までは,持ち込んだ自転車にて移動.       途中,牛の大群に行く手を阻まれる.  9月7日 鉄道でポロナイスク(敷加)に移動.       車内では日露ウッカ大会が開かれ,ロシアの圧勝       ホテルまでパトカーの先導で移動  (ポロナイスクの駅)  9月8日 ポロナイとはアイヌ語で大きな川という意味がある.そこで川を探しに出る.       あった!ロシア人やギリヤーク人がサケをとっていた.       ユジノサハリンスクまで,列車でもどる.(300km)  9月9日 ユジノサハリンスク(豊原)からコルサコフ(大泊)へ移動.       距離は38km,自転車で2時間半かかった.  9月10日 列車でユジノサハリンスクまで帰る予定だったが,列車がこない.       しかたなく,自転車で走る.途中ロシア軍の基地を発見!戦車の写真を       びくびくしながらとるが,カメラの故障で撮れていなかった.       町で知り合った残留韓国人のおばちゃんに,大阪の親戚を捜してくれと       たのまれた.英語,日本語,漢字がダメだったので,私のたどたどしい       韓国語で,どうにか会話して聞き出せれた.  9月11日 アエロフロートにて,函館へ戻る.

詳細

サハリン自転車旅行

 会社のリフレッシュ休暇を利用し、サハリン自転車旅行を試みました。南のコルサコフ(大泊)から  ポロナイスク(敷加)まで走りたかったのだけど、情報も少なく、結果的には、ポロナイスク市内の  観光と、ユジノサハリンスク(豊原)とコルサコフ間の往復自転車旅行になってしまいました。  1996年9月6日 函館空港からアエロフロートの30人乗りのプロペラ機でユジノサハリンスク  へ飛ぶ。上下によく揺れるので気持ちが悪くなるが、途中上空から眺める札幌の町に見とれている  うちに気持ち悪さも忘れてしまった。飛行機は、オホーツク海へ出て、サハリンの南東の半島上を  北に飛び、コルサコフの南をかすめながら、さらに北上する。上空から眺めるコルサコフの町は  開けており、明るい雰囲気がする。高速道路上を車が何台も走っている。 「思ったより都会だなあ、、」と思うととともに、「地図にはそんなのは載っていなかったぞ!  自転車で走ることはできるのだろうか?」と不安になった。  実は、サハリンの地図は、東京の八重洲ブックセンタの地下1階で買った"航空地図"と、柳瀬何とか  という人の書いた本「樺太・北方4島」の中に出てくる明治40年頃の市街図しか持っていなかった。  航空地図には太い道が一本載っているのみで、柳瀬さんの本には、その道とは違う海岸線に近い別の  道が載っていた。結果的には、現在は航空地図に載っているのが、飛行機から見た道路であった。 ユジノサハリンスク空港は、軍の空港も兼ねているだろうけど、田舎の空港という感じで、そんなに  緊迫感はなかった。しかし施設は悲惨だった。トイレは壊れているし、売店もない。入国審査が終わり、  扉を開け、外に出ると、「ありゃ?」そこは階段もなく、ただ段差があるのみ。全く通用門である。  外は、牧草地帯が広がり、駐車場には若者がたむろしている。もちろん両替は全くできない。  さっそく無一文状態になってしまった。  「ああー、ロシアに来てしまったなあ、、無事帰れるんだろうか??」と不安であった。  「まあいいや、とにかく、自転車を組もう」  空港からユジノサハリンスクまでは,11kmある。軽く走れる距離である。「いざ出発」と  こぎ出したのは良いが、500mも行かないうちに、牛の大群に行く手を阻まれる。  「ありゃりゃ、休憩」 牛をやり過ごし、ちょっと行くと、なんとロシア軍の基地!  突然、兵隊に声をかけられる。「やや、早くも連行か?」とビビっていると、空港までの道を  尋ねられる。「?」「ヤー、イポンスキー(私は日本人)」を連発し、空港の方を指で示す。  目の前なのに、何でわからへんのやろう?君ここのひとやろ?  この先、ユジノサハリンスクまでは1本道。町に近づくと、アパートの並ぶ住宅街の道端で  バザールが開かれている。非常に活気がある。さらに行くとオフィス街の中に廃屋が、、日本時代の  物なのだろうか?やがて本日のお宿「ツーリストホテル」に到着。受付で、ポロナイスクまでの  切符とメッセージを受け取る。「なになに??」、「No Dinner」、、「ありゃりゃ??」  代わりにいくらかのルーブルが入っていた。「あ、こりゃラッキー、何か食いに行こう!!」。  町に来る途中チェックしておいたコリアンレストランで夕食を取った。  ホテルは薄暗く、田舎のビジネスホテルという感じだが、夜になってもホテルの前は人通りが多く、  通りに面したキオスク(売店)の前には、酒を買う客だろうか、いつもにぎわっている。  後々このキオスクなる物にお世話になるのだが、サハリンの至る所、約200mおき位に  このキオスクはあり、中で売っている物は、お菓子や飲み物から、お酒、化粧品、ちょっとした  電気製品等も売っている。特に注目するのは韓国製の商品の多さである。ユジノサハリンスクの  キオスクのおばちゃん曰く、「韓国の物がいいので、ロシアの物は無くなっちゃたよ」。と日本語で  言っていた。  9月7日 今日は朝早く、鉄道でポロナイスク(敷加)に移動する予定である。本当はポロナイスク  まで走りたかったのだが、途中に大きな町はなく宿泊できそうもないので、今回は鉄道沿線の町の  見学ということになった。  あさ早く、扉を叩く音がした。ホテルのおばちゃんが、朝食が準備できないのでサンドイッチを  作って持ってきてくれた。そして乗る列車が早いと言うことも知っており、起こしに来てくれたのだ。  「ありがたい」、ロシア人って意外と、やさしいんだなと感じた。  車内では、ウッカ大会が開かれた。彼らの飲み方は、ウォッカを一気に飲み、その後甘いジュースを  飲んで、のどを潤すやり方だ。ボクも真似たがウォッカがノドを通らず、ロシアの圧勝だった。  車窓からは小高い山が見える。人工物は併走している舗装していない道と、そこを砂埃をあげて  時々走り抜ける自動車のみだ。途中止まる駅は、家が10軒もないような小さな村落である。  宿などなさそうだ。ここを走り抜けるには、キャンプしかないようだが、所々ロシア軍の検問所がある。  ロシア人がデーキャンプをしているのは見えるが、はたして日本人がキャンプができるのだろうか?  昼過ぎに、ポロナイスクに到着。今日のホテルはどこだろう?警官に聞いてみた。  「ポロナイスクにはホテルはない」といって首をかしげていたが、若い警官が思いだしたように、  「ついて来い」という。ホテルまでパトカーの先導で移動。「あーあ、良かった」。しかし、  案内された所は、アパートの管理人室だった。案の定、「ホテルではない」との答え。  「ありゃりゃ、どないすっぺ」と悩んでいると、オロッコ族の方なのだろうか、太ったお母ちゃんが  「こっち来い」という。「隣が建設中のホテルだから、ここで寝ろ」と、電気のつかない部屋に案内  してくれた。「あーあ、良かった」とりあえずここで一泊することとする。  9月8日 午前中ポロナイスクの町を見学して、昼過ぎに列車に乗って、夕方ユジノサハリンスクに戻る。300kmの旅だった。今日の宿はラダホテルだ。  9月9日 今日は、やっと待ちに待ったサハリンでの自転車旅行だ。ユジノサハリンスク(豊原)から  コルサコフ(大泊)まで、距離は約40kmである。「軽く着くぜー」てなことで、のんびり出発。  0km 13:45 ユジノサハリンスクの駅を出発する。駅前の大広場に立っているスターリンか      誰か大きな塔を左に見ながら、右折する。この交差点には、ちゃんと信号があったのだ!!  3km コリアンレストランを通過。まだまだ町である。ここまでの道は広く、途中2カ所くらい      ガソリンスタンドもあった。始めのうちは歩道を走っていたが、交差点ごとの段は15cm      くらいと高く、仕方なく車道を走るが、交通量も多くスピードは上がらない。      道は所々工事中だったり、水が溜まったりで走りにくい。左手(東側)はアパートの並ぶ住宅街      である。 4.75km ここから緑が多くなる。町の外れなんだろう。 9.5km 空港分岐を通過。この辺りは基地があり、ちょっとした町になっている。ここからは、      道は沢に直角に走っており緩やかなアップダウンの連続だ。このままコルサコフまで続いていた。道は片側2車線だが、右端は土がよく踏み固められた道であり、100km位で爆走する車は中央の舗装されている所を走り抜けるためが、たびたび地道に追いやられる。冷や冷やもんだね。しかしそれにしても、漢字の書いてある車が多いなあ、、「何とか電力」なんてのも走っているぞ!右側を走っている事を忘れると、日本と錯覚してしまう感じだ。 24.5km 15:15 のんびり走りすぎたかな?ダーチノイエという村を通過。途中、警察の      チェックポイントが見える。「やばいかな?」と思ったが、何事もなく通過。      車は止められている。 28km アニワ分岐地点に出る。ここからアニワ湾に出れるのだろうと思い、道をはずれて入り江の方に      入る。と、突然、、JR東日本のディーゼル列車が目の前を走る??      ここにも日本の物が入っている。目の前には、踏切があり、すぐ横には無人駅がある。      駅と言っても、まるで市電の停留所だ。この辺りには町はないのだが、入り江が近くにあり      日本の田圃に近い風景である。農民が何かを収穫しているのが見える。      僕は是非、湾に出て水に触れたいと思い、あぜ道や芦原をかき分け進んだが、湿地帯で      これ以上進めなかった。 36.8km 16:59 峠を越えると突然大きな駐車場が現れ町が見え始めた。ジャガイモ焼きの      兄ちゃんに聞くと「ここがコルサコフだ」という。     「やった!着いたぞ、あとは、下り一本だ!!」狭いくねくねした道を猛スピードで下っていくと、      何かせせこましい日本の峠町のような、懐かしい雰囲気を持っている街を通過する。 41km 17:30 やがて海岸通りに出て、コルサコフの駅を通過し、旧拓殖銀行大泊支店の前を      通って、港に出る。そして港を過ぎて、町外れになった所で、海に出て海水に手を浸してみた。     「北海道が見えるな?」見えない。昔こんな遠くまでアイヌの人達は船をこいで来たんだなあ、      と思うと感慨深かった。「思えば釜山港でも、こんな事したっけ」      船員ホテルを探すが、それらしいホテルはない。適当なビルに入って、     「グジェ、ガスチーニッツァ?(ホテルどこ)」と聞いて回る。やがて、すらっとした美人の、      しかしちょっとツンとした姉ちゃんが、「あそこかも知れない。ついてきなさい」と、      あるホテルを案内してくれた。しかしホテルのおばちゃんは「あなたの予約は入ってないよ」      と言う。「またかよ」と思い、「予約もお金も入れてある。何かの間違いだ。警察に行こう」と      英語でまくし立てるが、ちっとも通じない。結局、泊まれないのも嫌だから、6万ルーブルを      払ってしまた。情けない。  9月10日 午前中はコルサコフの街を見学することにした。コルサコフの街は中心部にはアパートなど      が立っているが、周辺部の丘陵地帯には南地中海を思わせるような明るいイメージの家が数多く      建っていた。      コルサコフからの帰りは、列車に乗って帰るつもりだったが、列車がこない。しかたなく,      自転車で走って帰ることにした.      途中ロシア軍の基地を発見!戦車の写真をびくびくしながらとるが,見張りも誰もいない。      必死で写真を撮りまくる。帰国後、楽しみにしていたが、カメラの故障で何も撮れていなかった。      命がけで取ったつもりなのに悔しい。そんなこんな事してるうちにユジノサハリンスクについた。      今夜はツーリストホテル泊。  9月11日 アエロフロートにて,函館へ、そして大阪へ帰る。 おわりに  今回は、コルサコフ−ユジノサハリンスク間を自転車で往復した。この区間は、サハリンの大動脈と  言っても良い。両市の間には大きな街はないが、のどかな村々が所々にある。交通量は多いが、  街からキャンプに来るのにはもってこいの所だ。アイヌ人から受け継いだこの緑あふれる大地を、  人間と自然が共生できる心豊かな大地を守ってくれるようロシアの人々にお願いしたい。 また、北の町ポロナイスクはその名が示すとおり、アイヌ語で大きな川という意味だ。  できうれば、他のサハリンの地域でも、アイヌが名付けた地名をロシアの人々が大切にしてくれれば、  日本とロシアの間の距離はグンと縮まるのでは、と願っている。 また行ってみたい。

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